春光寺(松井家墓所)

市指定有形文化財(昭和40年4月12日)

 臨済宗南禅寺末寺、八代城主松井家の菩提所である。延宝3年5月22日、平川原町の泰厳寺が雷火で消失したため、藩主細川綱利はこれを出丸
の松井家菩提所宗雲寺に再興することにした。これに伴い松井家三代直之の時、松井家には別に菩提所として春光寺を創建し、寺領百石ならびに
山30町を寄進した。これは先祖松井康之の功に報いるためであったという。住職正岩は、延宝5年5月23日に宗雲寺から移住した。
 春光寺境内の裏山には松井家歴代の墓所がある古廟・新廟の御霊屋(おたまや)があり、古廟前には康之の殉死者の墓もある。営之の代に
祖康之のため古廟に神道碑を建てた。「永観子孫」四字は藩主細川重賢(ほそかわしげたか)の自筆で、碑文は熊本の藪弧山(やぶこさん)、
書は書家草野草雲筆である。
 明治10年の西南の役では激戦地となり、庫裡の柱や木像達磨大師、大書院絵板戸、神道碑などに弾痕が残っている。西南の役から百年目の
昭和52年に、住職沢田清宗氏により「西南役戦死者の碑」が建立された。
 境内には多くの句碑や歌碑などがあり、また日本画家の大家堅山南風(かたやまなんぷう)画伯の墓所もある。

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