中宮山悟真寺(ちゅうぐうさんごしんじ)

市指定有形文化財(昭和40年4月12日)

 征夷大将軍宮良成親王は、元中7年(1390)9月宇土城が陥落したので菊池武朝を従えて高田の征西府に来られ、その後、武朝に命じて懐良親王の御墓前、元御神寺のあった所に親王の菩提寺として悟真寺を建立させられた。寺号は、ご法名「悟真大禅定門」から悟真寺と称した。開基は大原孚芳で、曹洞宗永平寺の末寺である。天正15年(1587)秀吉は島津征伐のため古麓城に入城、その時、秀吉は八代に五泊した。
 天正16年秀吉より肥後南半を与えられたキリシタン大名の小西行長は、寺社焼亡破却の強硬手段をとり、この兵火により宝物や建物すべて消失、寺領も没収されたが、加藤清正の代になってから中宮山中腹の現在の場所に移して再興された。
 境内に御霊殿があり、懐良親王自筆の御両親の御霊牌が奉安してある。御霊牌は表面に「登霞(とうか)後醍醐天皇」「遷化霊照院禅定尼(せんげれいしょうぜんじょうに」、裏面に「延元四年八月十六日崩御」「正平六年三月二十九日入滅」と陰刻してあり、高さ32.1㎝、幅11.9㎝、雲煙文様の頭部と台を含めると総高56㎝である。

市指定有形文化財…御両親の御霊牌・銅製雲版

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です