御小袖塚

懐良親王御建立の御両親の陵墓「御小袖塚

市指定文化財記念物(遺跡)

昭和三十八年四月二十日指定 

令和3年12月補修工事

 大平山の麓にある妙見町公民館の横の道を谷川に沿って登ったところに、壊れた玉垣に囲まれた五輪の塔が
二基みられる。これが御小袖塚である。
 征夷大将軍 懐良親王(かねながしんのう)が、父君後醍醐(ごたいご)天皇と母君 霊照院禅定尼(れいしょういんぜんじょうに)御供養のため
に建てられた御陵墓で、親王が吉野を出発される時、形見にもらわれた父天皇の御小袖を、天皇崩御(ほうぎょ)の
知らせが届いた後、埋めて御陵墓を築かれたと伝えられている。中央にある二基の五輪の塔は何れも南北朝様式のもので、
向かって左は天皇、右は御生母の塔である。
 墓前には菩提所護国山顕孝寺を建て、仏壇には親王自ら御両親の御霊牌を作って安置して供養された。
親王亡きあとは名和(なわ)氏が祀り、相良(さがら)氏領有のころは寺号を悉知院(しっちいん)を改めて、
相良氏の祈祷所をなり供養は悉知院が勤めた。相良義陽(さがら よしひ)が響野原の戦いで戦死した後は、
妙見下宮の神官寺僧仙舜(せんしゅん)が庵寺の住職となった。
その後小西氏によって庵は焼かれ廃寺となり御霊牌は神宮寺に安置し、神宮寺廃寺後は医王寺に、そして現在は
悟真寺御霊殿に奉安されている。

新免、宮本武蔵塚

御小袖塚の後方に、高さ1.28mの石碑が建っている。表面に「新免武蔵之塚」、裏面に「正保二年五月一九日武蔵死」、向かって左側面に「寛政九年冬、村上氏門弟中」とある。武蔵の死後152年目に武蔵流派の村上氏が建てたものである。

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